リストカットと私/リストカットを断った私が当時の状況を客観的に振り返る

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※写真あり。気分を害する方はこの先読まないで下さい。

思い起こせばきっかけとなる出来事は私が中学1年生の頃。

中学3年生の姉がリストカットを教えてくれた。

姉も同級生の影響で試したらしい。

姉はさほど目立たない程度、血が滲み出るか出ないかくらいの数本で今ではほとんど目に見える痕が残っていない。

一時的な興味で、あまり続けることもなかったのだろう。

今思えば、このときに初めて私の中に“リストカット”という一種の選択肢が芽生えたのだと思う。

 

私は小学生の頃から食欲不振や原因不明の身体症状(発熱や頭痛、腹痛等)に悩み、ときおり心療内科にかかっていた。

波があったが、中学生でも体調を崩し、どうやら本格的に鬱を発症したようだった。

眠れない日々が続き、睡眠薬に頼る生活になっていった。

初めてリストカットしたときはもはや覚えていない。

中1だったか、中2だったか…中3だったのかもしれない。

その頃の記憶は曖昧で、ただ、最初は一人きりで隠れて試していたように思う。

徐々に感情をコントロールできなくなり、気づいたときには爆発したようにリストカットに向かうようになっていた。

親の前でも隠すことができなくなっていた。

中学3年生になり受験を目前に過度なストレスを感じ、ご飯を全く受け付けなくなくなった私は精神科病院に入院した。

なんとかご飯を食べるよう指導を受け退院したが、根本的には何も治療にならず退院後相変わらずご飯を食べなくなっていた私。

再度入院をと病院から告げられ、受診したにも関わらずなぜか主治医に「あなたの居場所はここにはない」と追い返された記憶だけは映像を見るようにはっきりと覚えている。

その夜は思いっきりリストカットをして救急搬送された。

その後は新しい病院に転院し、そこで時間をかけて順調に回復していった。

 

次にリストカットが復活したのは高校3年生の頃だったか…

それまでは精神的にも安定し、身体症状も出現せず安定した高校生活を送っていた。

ただ家庭の状況が凄まじく悪く、バイト漬けになっていて自分にかかるお金は自分で払っていた。

それでも安定していたので頑張れていたのだが、これまた高校3年生というタイミングで家庭状況がさらに悪化し大学進学を諦めるような事態に陥っていた。

他の兄弟は進学する中、なぜ私だけ…そんなこんなでまた精神的に不安定になっていた。

結果、また行き所のない感情はリストカットに向かってしまった。

ただ、当時は信頼できる主治医もいたのでなんとか持ち直し、傷は増えたが自分なりに乗り越えることができた。

 

最後のリストカット歴は大学生の頃。

一人暮らしになり、自分で稼がないといけない費用が増え、大学とバイトでかなりハードな生活を送っていた。

奨学金だけでは追い付かず、バイトのかけもちもして、学業も手を抜くことができなかった。

家族も当時はまだ状況が改善しておらず頼ることもできず…

リストカットの傷がずいぶん増えてしまった。

体重も減っていった。

しかし当時は入院する余裕(親からも断られ…)はなく、バイトも辞めることができず…

結局大学を休学することで時間をかけて生活を立て直し今があります。

そんなこんなで、以降はリストカットすることはなく、自立した生活を送っているわけですが、

そうなってくると傷痕が邪魔で仕方がなくなってくるものでして…((+_+))

10年以上経った傷痕は赤みは消え、白い盛り上がった線になっています。

では、まずは傷痕修正する前の状態から…

 

完全にリストカット!

で、写真ではわかりづらいのですが、肘までかけて小さなリストカット痕がびっしりあります。

 

ここから少しずつこれまでの私の傷痕との付き合いを紹介していきます。